2009年06月26日

天然ガス(てんねんガス、Natural gas)は一般に

天然ガス(てんねんガス、Natural gas)は一般に、天然に産する化石燃料である炭化水素ガスのことを指す。

広義には、地下に存在するガス、または地下から地表に噴出するガス一般のことであり、この中には化石燃料ガス(可燃性ガス)だけでなく、窒素や酸素、炭酸ガス、硫化水素ガス、亜硫酸ガス、硫黄酸化物ガスなどの不燃性ガスも含まれる。これら不燃性ガスの多くは火山性ガスである。

天然ガスにはメタン・エタン・プロパン・ブタン・ペンタン以上の炭素化合物や窒素が含まれ、産出する場所によってその割合は少しずつ異なる。
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これらの他に不純物として、水・炭酸ガス・硫黄酸化物・硫化水素などを含む[1]。例外的に北アメリカ産・アルジェリア産の天然ガスには1 - 7%ものヘリウムが含まれており、世界の数少ないヘリウムの供給源となっている[2]。

揮発性が高く常温では急速に蒸発し、常温では空気よりも軽いので大気中に拡散する。この点では、常温で空気より重く低い場所に滞留しやすいプロパンやブタンガスに比べれば安全性が高いといえる。

メタンの沸点は-161.5℃であり、LNGの沸点は-160℃程度になる。このため1気圧の環境下で液化するには極低温が必要になり、臨界温度が-82.6℃ということはいくら加圧してもこれ以上の温度では液化はしない。

2009年06月10日

慢性閉塞性肺疾患(まんせいへいそくせいはいしっかん)

慢性閉塞性肺疾患(まんせいへいそくせいはいしっかん)は、さまざまな原因、特に喫煙により肺に慢性炎症が生じ、これにより、肺胞の破壊や気管支粘液腺の肥大が起き、その結果息切れを生じたり、咳嗽や喀痰が増加する病気。英語のChronic Obstructive Pulmonary Diseaseの頭文字からCOPD(シーオーピーディー)と呼ばれることが多い。以前肺気腫と呼ばれていた疾患と慢性気管支炎と呼ばれていた疾患は、両者が種々の割合で合併することが多く、この二つによる閉塞性肺疾患を合わせてCOPDと呼ぶようになった。

WHOの試算[1]では、2005年に世界中で年間300万人がCOPDにより命を落とし、死亡原因の第4位を占めているが、今後10年間でさらに30%増加すると予測している。日本では厚生労働省の統計によると、2005年に14,416人(全死亡数の1.3%)がCOPDにより死亡し、死亡原因の10位、男性に限ると7位を占めている。

1997年、WHOとアメリカ心肺血液研究所 (NHLBI)、アメリカ国立衛生研究所 (NIH) は、全世界的なCOPDの予防と治療を目的として、GOLD(Global Initiative for Chronic Obstructive Lung Disease、慢性閉塞性肺疾患に対するグローバルイニシアチブ)という国際機関を発足させた。2001年にCOPDの国際的ガイドラインを発表し[2]、その後改訂を重ね、COPDの診断、管理、治療の世界標準となっている。
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この病気になると息が吐きづらくなるという特徴を持ち、この息の吐きづらさのことを「気流制限 airflow limitation 」と呼ぶ。COPDは、慢性の気流制限を呈し、気管支喘息やびまん性汎細気管支炎、閉塞性細気管支炎、気管支拡張症、あるいは肺腫瘍などその他既知の原因による気流制限を除外したものと定義される。 気流制限は、気管支拡張薬吸入後のスパイロメトリー検査にて、1秒率が70%未満であるものと定義される。1秒率は1秒量 (FEV1) を努力肺活量 (FVC) で除したものであり、これが低いということは、1秒間に吐く息の量が少ない、息が吐きづらいということを示す。

2009年06月07日

武器開発に与えた影響

プレートアーマーの発展はそれに対抗する武器の発展にも影響を与えた。

この鎧は刃を通さず、打撃(特に切断)に強かった。強力なクロスボウであれば装甲を貫通できたかもしれないが、一般的なクロスボウでは、撃った後に次の矢をつがえるか、反撃から逃れることができるような遠距離から2mmの厚さの鉄板でできた装甲を貫くエネルギーを得ることは容易ではなかった。このためクロスボウは次第に強力化していき、短く太い専用の矢を使うものが利用されるようになっていった。これによって狙撃された騎士も少なくないことから、十分な威力を持つクロスボウはプレートアーマーを着た騎士の脅威として、その使用が制限されるなどの歴史も見られる。詳しくはクロスボウの項を参照されたし。

その一方でメイスやハンマー(戦槌)等による殴打は装甲そのものを破壊することこそできなかったが、十分な重さと勢いを与えることで大きく陥没させることはあり、その衝撃によって人体に打撲傷を与える事ができた。特に重いものでは骨折したり裂傷を負ったりもしたため、鎧の下に打撃を吸収するキルティングの下地をつける場合もある。モーニングスターのように打撃力と貫通力を持つ武器が発達したりもしており、この他には鎧の貫通に特化した金属棒のような、シルエットは細身の剣に似ているが、細く固い金属棒で、実際は柄の無い槍のような武器も登場している。

プレートを全身に身につけるとしても、関節の可動域を確保するためにはどうしても隙間が発生することは避けられず、剣や短剣を用いてその隙間を狙う技術が発展し、これに対抗するために戦士達は鎧の下に更に鎖帷子をシャツのように着込んで、あるいはこうした目的の鎖帷子では布地のシャツに関節部分だけ鎖が縫い付けてあるものも登場している。また、鎧のつなぎ目や鎖帷子の隙間を狙う刺突に特化した剣や短剣が誕生した。

この他には棒状武器の中に「引っ掛けて引き倒す」という機能に特化したものも多い。これは比較的軽装の歩兵などが装備し、あまりに鎧が重くなったために落馬すると自力ではすぐさま馬に這い上がれない騎士などに利用された。ハルバードなどは、その典型的な「引っ掛けて打ち倒す」ことを前提とした武器である。これらで引き倒された騎士は歩兵などに群がられ、倒れたところを鎧と兜の隙間から短剣を刺し入れられて倒されたという。

プレートアーマーは頭部を保護するヘルメット、喉を守るゴルゲット、ポールドロンまたはスポールダーと呼ばれる肩当て、肘を守るコーター、二の腕を守るヴァンブレイス、手首を守るガントレット、脇をまもるペサギュ、胸部と背部を守るキュイラス、腰部を守るフォールド、タセット、キュレット、チェインメイルスカート、大腿部を守るキュイッス、膝を守るポレイン、脛を守るグリーブ、足を守る鉄靴ソールレット等からなる。

こういったそれぞれの部品は、様々な形状の金属板を切り出し、ハンマーで叩いて三次元的な曲面を持つパーツにして、これらを組み合わせ構成する。このパーツで体の動きを妨げないよう重ね合わせたり関節を設けたりするわけだが、多くのパーツはリベットで留められる。一部には皮革などが皮バンドとして用いられ、これを使って体に固定する。
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ソルレット、ガントレットなどはパーツの左右に穴を開けリベットでかしめ、回転軸とし自由度を持たせる。スライドリベットは一方の穴を大きくしワッシャーをいれてリベット自体の穴に自由度を持たせる。また、革ベルトにリベットでパーツを留める。タセットやゴチック式の肘部分は外からは見えないが革ベルトであり柔軟に可動する。

板金の厚みは物や部分にもよるが1?1.6mmほどで、現在の自動車用板金よりは厚いが、自動車板金に使われる高張力鋼板よりは格段に弱いため、打撃や貫通といった攻撃に耐えるため要所要所に補強が入れられていた。敵にさらす左側をより厚くしたものも多い。グリニッジ甲冑などは肘を大きく作り盾の代用とする。

2009年04月24日

ミラノ・コレクション

ミラノ・コレクション(Milan fashion week)とは、イタリアのミラノでミラノ・モーダ・ウォーモ (メンズ)、ミラノ・モーダ・ドンナ (レディース)のそれぞれ夏と冬の年2回ずつ開かれる服飾ブランドの新作発表会の総称である。

1976年以来、ミラノで開催されているコレクション。数々のデザイナーが新作を発表し、宣伝のために主にバイヤーやジャーナリストやカメラマンを招待する。ビジネスの場なので、一般の人々は基本的に見ることは出来ない。

ボフエシュバル ビジネスジャンプ総合
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パリ・コレクションの前の週がミラノ・コレクションという日程が組まれている。

有名なプレタポルテのコレクションは他にニューヨーク・パリ・ロンドン・東京で開かれるが、100以上のブランドが参加するパリ・コレクションが一番規模が大きく、その年の流行が作られるため注目度は非常に高い。

常設会場が国際見本市会場に隣接して作られるが、ブランドごとに独自に会場を設けることも多い。

関連するコレクションには、国際生地展であるモーダイン(MODAIN)、靴カバンのコレクションであるミカム(MICAM)など多数存在する。

2009年04月22日

性格(せいかく)

性格(せいかく)は、その者の性質を表す。人だけとは限らない。

性格という用語はcharacterの訳語として心理学で用いられるようになった。ゴードン・オールポートが述べているように、characterという単語には価値的な意味合いが含まれている。一方で性格という用語には価値的な意味合いが薄いということもあり、日本語の「性格」と「人格」という用語は混乱しやすいので注意が必要である。

感情面の個性は気質 (temperament) という先天的傾向に基づくといい、気質から作られる行動や意欲の傾向が性格とよばれる。性格とよく似た言葉に人格があるが、人格には社会的もしくは論理的な内容が含まれており、性格より範囲が広い。なおこの気質はヒッポクラテスの医学における四体液説に由来する。

類型論とは、人をある基準によって分類することによって性格を捉える考え方のことである。分類された人々の中の典型的な性格を類型的性格という。性質を分類するための分類として代表的なものにはクレッチマーとユングの気質論がある。以下の分類以外にも「シェルドンの分類(クレッチマーと同じ分類)」、「ツルゲネフの分類(ユングと似た分類)」などがある。類型論は人を分類するという点で理解しやすい性格の捉え方であるが、中間のタイプが無視されやすい、一度ある類型に分類されると別の類型への移行が生じにくい、典型的な人物像に完全に合致する人が存在する可能性が低いなどの問題点もある。これらの問題点を解消するためには、特性論的な見方も併用することが望ましい。

気質類型論

クレッチマーの気質分類
循環型気質:社交的なときと静かなときが交互に出る
分裂型気質:非社交的、気づかないところと気づくところ両方が出る
粘着型気質:几帳面、やることは凝る

ユングの分類
カール・ユングの考案した分類。 人の心的エネルギーが向かう方向として2つ、心理機能として4つの機能を挙げこれらの組み合わせで合計8つの性格類型を考える。

外向 外界の事物に関心が向く。環境適応が早い。周りの意見にあわせる(流される)。
内向 内界の主観的要因に関心が向く。思慮深い。周りの意見に左右されない。
思考 知性によって物事を一貫的に捉える機能
感情 好き嫌いで物事を捉える機能
直観 物事の背後の可能性を知覚する機能
感覚 生理的刺激による知覚機能

ルドルフ・シュタイナーの分類
シュタイナーは古代ギリシアにおける粘液の分類を取り入れ、子供を分類して指導法を変えている。

胆汁質:自我が優勢
多血質:アストラル体が優勢
粘液質:エーテル体が優勢
憂鬱質:肉体が優勢

ディルタイの分類
英雄型
官能型
瞑想型

シュプランガーの分類
理論人
経済人
審美人
権力人
宗教人
社会人

エーリヒ・フロムの分類
世界に対する関係のありかたとして5つを挙げる。

受容的
搾取的
貯蔵的
市場的
生産的

カレン・ホーナイの分類
対人関係における不安に対する防衛様式として3つを挙げ、この様式が性格を規定するという。

依存的
攻撃的
隔離的
キネテ 紅葉の旅 菊座おり しぼり キューシ チェリー シンボル オートキプ ニース オレン よぶすま ラン タイト フォール オムレツ フーガ グマー ディム ドナルドック かみす ラビ ふじ豆 エッグ エッジボール レプラ タロッ 全国通 タウン ガーネット スイッチ デニム マハラ ロール コロンブス タスク フェーン パツ バルカン スケッチ タロー プレッピ ロッタリ メッキ しとみや スイー ロード ハドロン ゆうじょ テーベ


エニアグラムの分類
批評家:剛直。完全主義者。鑑識力が高い。曲がった事が大嫌い。
援助者:人当たりが良い。八方美人。天気屋。
遂行者:柔軟。行動的。価値や目標に拘る。
芸術家:我道を行く。孤高の志士。センスや芸術性が高い。
観察者:默考・分析・調査が得意。内向的。皮肉屋。有益性を重んじる。
忠実家:安定性を望む。寄らば大樹主義者。趨勢に流されやすい。
情熱家:冒険的で楽天的。好奇心が強い。ピーターパン。
挑戦者:独裁者根性。武闘派。破壊主義者。他人に操られるのを嫌う。
調停者:葛藤を嫌う。平和主義者。

野口晴哉の体癖分類
整体指導者野口晴哉は、感受性傾向および、身体運動習性にもとづいて、1種から12種までの体癖に分類する。体癖は2-3つが混ざっていることが珍しくないとする。
上下型(1種、2種)、毀誉褒貶に敏感な頭脳型。
左右型(3種、4種)、好き嫌いの感情に敏感な消化器型。
前後型(5種、6種)、利害得失に敏感な呼吸器型。
捻れ型(7種、8種)、勝ち負けに敏感な泌尿器型。
開閉型(9種、10種)、愛憎の情に敏感な生殖器型(骨盤型)。
遅速型(11種、12種)、体が過敏または鈍感なタイプ。

岡田斗司夫の分類
王様タイプ:人に注目され認められることを喜びとし、無視されることを嫌う。目立ちたがり。
軍人タイプ:勝ち負けに拘る。勝つことを喜びとする負けず嫌い。
学者タイプ:ものごとのしくみや法則を理解・発見することに喜びを感じる。
職人タイプ:自分の思い通りに物事をやりとげることを重視する。人から見てどうかより、自分の理想に近づくことを喜びとする。

特性論
いくつかの特性を単位として性格が構成されているという考え方であり、心理学者ゴードン・オールポートが代表的な論者である。1つ1つの性格の構成単位を特性という。特性は次元的に表現されるため、類型論と比べ、ステレオタイプになりにくいという利点があるが、類型論に比べて一般にはなじみが薄い。しかし現代の心理学においては、統計的に詳細な検討が可能であるという点で、性格を特性として量的に測定する研究手法を採用することが圧倒的に多い。量的に測定しておけば、ある得点で調査対象者を分類すれば類型的に捉えることも可能になるという点で利点も多い。

5因子モデル
ゴードン・オールポートが辞書中の性格用語を抽出したことに端を発し、その後多くの研究者が人の性格特性がいくつの要素で成り立っているのかを検討してきた。現在のところ、5つの特性によって人間の性格をおおまかに記述することが可能であるという説が最も有力であるとされる。この5つはあくまでもおおまかな記述であり、5因子モデルの性格検査の1つであるNEO-PI-Rでは、5つの特性の中にさらに細かい特性が設定されている。

5つの特性は以下の通りであるが、日本語訳が定まっていないものもある[1]。

Neuroticism(神経症傾向、情緒不安定性)
Extraversion(外向性)
Openness to Experience(開放性、知性)
Agreeableness(調和性)
Conscentiousness(勤勉性)
ロン・マギー博士、デイビッド・エイラー博士、ジョー・バッカホルト博士により、5因子モデルを基本とした新しい心理テストがアメリカで出版された。テストの対象年齢は9歳から19歳で、テスト名はFive Factor Personality Inventory - Children (FFPI-C) 。Pro Ed社から2007年に出版されている。現在出版されているテストは英語のみ。

性格検査
質問紙法
投影法
ロールシャッハ検査
作業法
クレペリン検査
描画法

2009年04月05日

結合部・ストラップによる分類

以下の三方式はチューブトップや矯正ビキニなど、背中の結合部にストラップでなく布を使う水着に多い。

L字式ホック - 下着のブラジャーでは、結合部を外側から体側に引っかける方式が多いが、水着では右肩側のL字状プラスチックパーツを左肩側のくぼみに入れる方式が多い。また結合部が背中でなく、左のブラの脇の下に設けられているタイプもあり、これは背中に比べ、一人で装着しても見え易くかけ易い、寝転がっても背中に当たらないなどの長所を持つ。
バタフライ式ホック - 平たいプラスチック板をX字状に交差され、指で平らにすると、男子向けプラスチック玩具でよく使われるはめ込み機能が働いて固定される。L字式の次によく使われるが、ある程度縦の高さを必要とするため、背ひもがストラップのものには使われない。
ちえの輪式ホック - 左右とも輪の先に小型の分銅があり、右の分銅を左の輪(左右で微妙に形が違う)に通す。この後は指で押して固定する手順が無いが、ストラップの弾力で引っ張られて自然に直線化されるので、隙間なく固定される。強度上必ず金属が使われるので、リングの形や分銅の部分に装飾が施せる特徴を持つ。
バッククロス - 背中でストラップを交差させたデザインで、背中を小さく細く見せる。ストラップは継ぎ目無し、またはブラや腰の部分で金属パーツを引っ掛けて固定するものも多い。主にワンピースやスリングショットで見られ、競泳水着では交差部の下部が布と一体化しているデザインも見られる。ビキニでは物理的にブラの位置が苦しくなるのであまり使われない。
タイサイド - ボトムのサイドを紐で結ぶことでサイズを調整するもの。近年は飾りとしてダミーの紐となっているものもあるが、実際に結べるタイプはかなり長いもの、ダミーは妙に短いものがあり、外観からある程度判別できる。
この他にボタンやスナップを使った水着もあったが、現在はデザインセンスとしては古くなり、幼児向け水着などにしか使われない。
ストラップを結ぶタイプは結び目が抜ける、およびストラップが端からほつれるのを防ぐため、端をきつく玉縛りにしてあるが、ここにビーズなどのミニアクセサリーをぶら下げるデザインも見られる。

その他 [編集]
ワンピース・セパレーツ共にボトム部分がロングスパッツになっているものがあり、競泳用・スクール水着に使用される。また遊泳用としてはボトムにミニスカートやホットパンツ、パレオ等と併用する場合がある。
パイピング - 布の縁がパイプの様に少し太くなっているもので、パイピングだけ色を変えるデザインが多く見られる。ビキニは布の周囲全てにパイピングがあり、2000年頃からは白い布に赤いパイピングが人気。またストラップとあわせて左右や上下で色を様々に変えるパイピングもある。ワンピースはブラの上のみがパイピングで、競泳水着でストラップと同じ色にするものが多い。
パレオ - ボトムに巻いた布。トロピカルなイメージがあるが露出度が減るため、男性より女性の視点で人気がある。
胸パッド - 水着では1980年代まではあまり使われていなかったが、現在では低年齢向けを除くと、ほとんどのブラにパッドが装着されている。形をよく見せるほか、ブラのガードが崩れた時に守りを少々堅くしておく(パッドが入っていると簡単にめくれない)目的もある。肩ひも付きのブラは物理的に余裕があるため、上部か左右にポケットを設け、パッドを単独で入れ替え可能なものが多い。逆にストラップレスやチューブトップでは上記と逆になるため、パッドを縫いつけなければいけない。

男性用水着 [編集]
男性は乳房を隠す必要がないため、一般的に下半身を覆うのみであるが、ワンピース型も存在する。女性用に比べデザインが凝ったものは少ない。男性用水着の俗称としては形状・用途に左右されず、海パンが圧倒的である。

ブリーフ型 - 脚の自由度が高い。ビキニ、ブーメランパンツと呼ばれることが多い。遊泳、フィットネス、競泳用ともに種類は比較的豊富。臀部・大腿部のブレをおさえられないため、近年の競泳の大会では着用して出場する選手は減少しているが、生地面積が少なく一番安価であるため廃れない。下腹部・臀部の形状に沿った日焼け跡になるため、日焼けの際の水着として好まれる傾向がある。サイドラインを太くし、ファッション性を高めたショートボクサーに近いデザインもある。競泳でも履き方に流行廃りがあり、過去には男子用ビキニ型の装着位置を過度に下げて履くことが流行った時期があり、小さ目や細めの水着をメーカーも発売していた。
Tバック - バックスタイルがT型の形状になっているタイプ。臀部が隠れない。日本では公衆施設などで着用して遊泳する者は少数。男女ともに着用が禁止されているプールもある。和製英語。
ビキニ - ブリーフ型の中でも、特にサイドラインが細く、更に露出度が高いもの。腰(骨盤)より上にサイドラインが来るタイプもあるが、こちらは競泳用ではなく、ボディビルダーが身体を見せるのに使うポージングに使用することもあるなど、ファッション性重視である(大会に出るようなボディビルダーが主に履いているものはビルダーパンツなどと呼ばれ、水着とは別物である。)。なお、女性用をビキニというのに対して男性用のそれはモノキニとも呼ばれる。
ブーメランパンツ - 競泳用のタイトなブリーフ型水着を前方からみたとき、ブーメランのように見えることからつけられた呼称。
競パン - 文字どおりでは競泳用パンツの略称になるが、競パンと呼称する場合主に男子のブリーフ型を指し、スパッツ型などは含まない。競泳用にとどまらずタイトなブリーフ型も含み、ファッションの分類用語に近い。「競パン」だけでは、水泳をやっていなければ何の競技のパンツなのか意味が通じず、販売店でもそのような呼称で販売しないため、用いる者は少数
ショートボクサー型 - 股下数センチ(主に3?7cm)までを覆う。ビキニ型より生地が多く露出度は若干低いがデザインに凝ったものが多い。俗に言う耐久水着や抵抗水着(アリーナのタフスーツなど)で一番多いタイプである。少数だが競泳用のものもある。
ショートスパッツ型 - 膝うえまでを密着して覆う。主にプールでのフィットネス、競泳用である。ハーフチューブ、ハーフスパッツとも言われる。
ロングスパッツ型 - 足首まで覆うタイプ。競泳用である。チューブ、ロングチューブ、フルレングスとも言われる。
ワンピース型 - 主に競泳用で、近年使用されてきている上下一体型水着。
ショートジョン - 下半身を膝上まで、上半身は肩掛けの水着
ロングジョン - 下半身を足首まで、上半身は肩かけの水着
フルボディ - 首から下、手首・足首まで、ほぼ全身を覆う水着
トランクス型 - 主に遊泳用でファッション性が高い。肌に密着しておらず抵抗が大きいため、水泳運動そのものには向かない。色、デザインに凝ったものが多い。
ふんどし型 - ふんどしやGストリング、タンガ、ソングなどTバックに近い布が少なく肌の露出が多い水着。

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2009年03月21日

車両運用の効率性もダイヤグラムを作成

車両運用の効率性もダイヤグラムを作成する際の重要な要素である。列車により使用車両を限定する場合にはその車両の運用を優先する形でダイヤ作成が行われるが、使用車両を限定すれば回送列車や長時間運行されない編成が発生しやすく、これは運用上の無駄となる。そのため、閑散路線や通勤時などは車両の運用効率を高める為に特急形車両や急行形車両など本来用途が限定された車両を異なる種別の営業列車に使用する事がある。これを一般に間合い運用と称する。

これには優等列車に使用する車両を普通列車・快速列車に充当するというケースが多いが、広義には、通常とは異なる路線・列車種別で車両を運用することを指す。車両基地への回送線を利用した博多南線や、多くのホームライナーについてもこの間合い運用の1形態であり、一部の特急・急行列車についてもこれに準じた運用がなされることもある。

補完列車 [編集]
補完列車とは、補助列車とも言い、運用上の基幹列車の輸送を補助する為に運行される列車のことを指す。ただし、このような言い方は必ずしも全ての列車が当てはまるとは限らず、あくまでも「補助・補完の役割を有する事がある」という程度の相対的な言い方である。おおよそ以下のものに分類できる。
ダーラン サフィ サウンド サイド バング レウイ ルンペン レバノン ブラック シード バレー ソフトダ ロッシュ メロン シャーリ おおばなさ クリーン きゅうせき ケマン カイドウ くしびき ハーフ フェア ビリティ ユーエ モッツ ルヒル ヒューズ ライダー 幸福 リンクス マチン ユッケ スリラー YELLOW テレカ ゲート セッション 風の足跡 オンシ 艶姿 検索ジム バースト テレフ ハック プライ ダバード ワクシニア オーバ モンテ

需要が旺盛と認められる駅ないし時間帯を、列車が通過・非経由・運休する場合。
例:東海道新幹線に対する東海道本線の優等列車や上越新幹線とかつての「新特急」。
基幹列車に乗車できなくなった乗客の救済。一般に季節運転の臨時列車にはこの形態が多い。
ムーンライトながらに対する臨時列車の91号・92号。
なお、特急の続行運転など同等の列車を始発駅付近で続けて運行する場合、車両・編成内容などが大きく異なる場合がある。こういった場合は単に基幹列車・補完列車というより、性格が異なる別個の列車と見ることができる。

ダイヤの規模を測定する指標 [編集]
ダイヤの規模を測定するためには、設定されている列車本数を数える方法がもっとも単純であるが、この方法では長距離列車と近距離列車が区別されない。このため、列車の走行距離を全て合計した列車キロでダイヤの規模が表される。一方、1本の列車の編成の長短により必要な車両数に影響が出るので、列車キロにさらに使用する車両数を掛けて車両キロも算出され、これが使用する車両数を検討する根拠となる。

列車キロ・車両キロでは距離を合計しているのに対して、運転される時間を合計して計算したものはトレインアワー、カーアワーと呼ばれる。トレインアワーは、乗務員の拘束時間が計算できるため、必要となる乗務員数を検討する根拠となっている。

鉄道においては、原則として「鉄道要覧」などに掲載された戸籍上・登記上の始点に向かう方向「上り」であり、これと逆へ向かう方向が「下り」である。日本の鉄道路線は、多くが首都・東京都区部の中心駅である東京駅に近い方向の駅を始点と定めているため、「上り」は東京駅に近づく方向、「下り」は東京駅から遠ざかる方向となる場合が多い。

従って、対岸同士を結ぶ路線は、本州では、太平洋岸や瀬戸内海岸に向かう方向が「上り」、日本海岸に向かう方向が「下り」となる路線が多い。四国では、瀬戸内海岸に向かう方向が「上り」、太平洋岸に向かう方向が「下り」となる路線が多い。

九州旅客鉄道の場合、開業時に最も東京寄りであった門司港駅を始点とした鹿児島本線を基準として「上り」「下り」を決定したため、その概念が狂う場合があることから、自社での案内を「○○駅方面」とする旨を告知している。

また、環状運転や、東京駅方面が中間に位置する場合や、複数の路線を跨ぐ運行を行う運転系統では、「上り」「下り」という言い方をしない場合がある。以下に例を挙げる。

京浜東北線、湘南新宿ラインは「北行」「南行」と表現する。
中央線・総武線各駅停車は千葉方面行きを「東行」もしくは「A線」、三鷹方面行きを「西行」もしくは「B線」という。
横須賀線・総武快速線ではそれぞれで「上り」「下り」と呼ぶが、両線を併せて表現する場合に千葉方面行きを「A線」、久里浜方面行きを「B線」と呼ぶ。
環状運転を行う路線の場合、山手線・大阪環状線では「外回り」「内回り」と表現し、名古屋市営地下鉄名城線では「右回り」(英語では「時計回り-Clockwise」)「左回り」(同「反時計回り-Counterclockwise」)と称する。なお、準環状運転となる伊予鉄道松山市内線はバスと同様に系統番号で案内している。
東京都心部を貫通する路線を多く持つ東京地下鉄(東京メトロ)では、銀座線、丸ノ内線を除き、開業時における起点から終点へ向かう方向を「A線」、その逆方向を「B線」と表現する。なお、駅ナンバリングはこれとは無関係に南西方向から北東方向へ向けて定められている。
東京都交通局(都営地下鉄)では、浅草線、三田線では「南行」(なんこう)「北行」(ほっこう)、新宿線では「西行」(さいこう)「東行」(とうこう)と呼ぶ。また6の字運転をしている大江戸線では東京メトロと同様に「A線・B線」または「内回り・外回り」と呼称している。この場合、正式には前者であるが、後者を案内に用いることがおおい。

列車番号・便名 [編集]
鉄道の場合、列車を効率よく運行するために必要な管理番号として列車毎に与えられる列車番号がある。これに相当するものは路線バスや航空機、定期客船などにも存在する。

なお、航空機の場合、便番号、フライト番号などと呼ばれる。とりわけ、安全上外部より管理・管制をしなくてはならない航空機の場合、会社名と便号についても一定の規則が存在するが、一般的に航空会社コード+4桁までの数字が使われる。

定期列車・定期便 [編集]
一定の区間で定期的に運行されるものを指す。ダイヤグラムを平日・休日などで別個に定めている場合には平日のみ、あるいは休日のみ運行されるものも含まれる。対して、臨時に運行されるものを臨時列車・臨時便と称する。

海外航空航路・長距離船舶航路などでは、その所要時間から機材・船舶の運用行程が長く、1行程が1週間、或いはそれ以上となる場合が多い。便数が「週n便」と告知されるのはそういった事情があるためである。

昼行と夜行 [編集]
一般には、運行する時間帯により昼行列車または昼行便と、夜行列車または夜行便とに分かれる。その内、昼行とは、1日の内に始発駅から終着駅まで運行される列車を指す。

ただし、「1日の内に」というのは、0時をまたがるかどうかではなく、おおよそ終便と始便の間の深夜帯をまたがるかどうかで判断する。したがって、深夜24時を多少過ぎて終着駅に到着する列車は昼行とされる。逆に日付上は1日の間で運転されていても、深夜から翌朝に掛けて運転される列車は夜行とされる。例えば九州新幹線開業以前に運行されていた「ドリームつばめ」では、博多駅始発が0時を過ぎていたため日付上は1日で運行されているが、終着駅への到着が翌朝になるため夜行列車の扱いであった。

なお、路線バスの終車後に運行される深夜バスについては昼行便の延長であることが多い。

2009年03月06日

チャールズ・コーンウォリス

チャールズ・コーンウォリス(Charles Cornwallis, 1st Marquess Cornwallis,1738年12月31日 - 1805年10月5日)は、イギリス軍の将軍であり、植民地の知事を務めた。アメリカ独立戦争の時の1781年、ヨークタウンの戦いでアメリカ-フランス連合軍に、彼の指揮するイギリス軍が敗れたのが事実上の終戦と考えられている。インドでは総督を2期務め、永世植民地を定めたことでも知られる。

コーンウォリスはチャールズ・コーンウォリス男爵(後に伯爵)の長男としてロンドンのグロブナーで生まれた。
メイン フェムト ブレンダー オーダ ジャッキ プロデ ハンド ヨーグルト ひょう リゾット しゅうばつ メーター ダンク デマンド サイトゲ バオアン アコウ カーレ アオイル カーネル モルヒ スター メトロ アシカ センチュリー カルーセル サラダ キャメ バック レイヤー 笑い話 風の子 リットル オジギソ りゅうら 宝石箱 ダンス ウンディー リベット アウテ ビー ジャケブル イバナ バタフラ いもがゆ トラックク レース バズーカ コリドー ブレーク

コーンウォリスは財産にも血縁関係にも恵まれていた。コーンウォリス家は14世紀にサフォークのアイの近くブロームホールに基盤を置き、以後300年間に一族を郡の代議士として国会に送っている。1627年にフレデリック・コーンウォリスが準男爵となり、チャールズ1世のために戦い、チャールズ2世は追放に追いやっている。フレデリックはさらに1661年に男爵となり、その子孫は婚姻によって重要性を増した。

コーンウォリスの母エリザベスはチャールズ・タウンゼンド子爵の娘であり、ウォルポール首相の姪でもあった。彼の父が1753年に伯爵となり、子爵も兼ねた。彼の弟ウィリアムは海軍提督であり、叔父のフレデリックはカンタベリー大司教であり、もう一人の叔父エドワードはカナダの植民地の指導者であった。

フリーメーソンだったと信じられているが、確証はない。

軍隊での経歴
コーンウォリスはイートン校で学んだ。ここではホッケーをやっているときの事故で目に傷を負っている。続いてケンブリッジのクレア・カレッジに進んだ。1757年12月8日、近衛歩兵第一連隊の旗手が最初の任務であった。軍人としての経歴がここから始まり、プロシアの士官ログイン大尉と大陸を旅行した後、チューリンの陸軍士官学校で学んだ。1760年1月国会の代議士となり、1762年には父の伯爵を継いだ。

7年戦争の間、ドイツで様々なポストを4期務め、帰国後、1758年グランビー卿の参謀将校になった。1765年には、第85歩兵連隊に所属し、ミンデンの戦い後大尉に昇進した。

1771年、再びドイツに出征し、第12歩兵連隊に所属、中佐に昇進。1771年6月15日から16日にかけてのフィリングハウゼンの戦いで1隊を率い、勇猛さで注目された。

アメリカ独立戦争の勃発により、1776年1月1日、コーンウォリスは志願して従軍。3月に2,500名の部下とともにヘンリー・クリントン将軍のもとに向かった。

1777年1月2日から4日、ニュージャージーのプリンストンで、ジョージ・ワシントン率いる大陸軍と戦った。大陸軍はコーンウォリスの分遣隊を急襲し、主力部隊が到着するまで攻撃を続けた。この最初の遭遇の後、コーンウォリスが逆襲を掛ける前に夜陰に紛れて逃亡した。プリンストンの戦いは一般には大陸軍の勝利と言われているが、小競り合いの連続であり、決定的な勝敗はついていない。

1780年、コーンウォリスはカロライナのイギリス軍を率いてナサニエル・グリーンと対峙した。コーンウォリスの軍隊はここで大きな損害を受けた。サウスカロライナではフランシス・マリオンに率いられた大陸軍にゲリラ的な奇襲作戦で苦しめられた。グリーン将軍はマリオンのイギリス軍疲弊戦術をうまく利用した。コーンウォリス軍はキングスマウンテンの戦いとカウペンスの戦いで、大きく損失を被った。コーンウォリスとグリーンは1781年もギルフォード郡庁舎の戦いで戦火を交えている。この戦いはイギリス軍が勝ったが損失も大きかった。コーンウォリスはカロライナでの作戦を諦め、援軍を待つためにバージニアのヨークタウンに撤退した。

コーンウォリスが帝国海軍からの補給を待っている間に、大陸軍の指揮官ワシントンは、フランス海軍が初めて参戦して来たことを知り、コーンウォリスの今の状態が誰もが認めるような勝利を得るチャンスを与えていると感じた。ヨークタウンの戦いではフランス・アメリカ連合軍がコーンウォリス軍を攻撃する一方で、フランス海軍がイギリス海軍の到着を阻んだ。1781年10月19日、コーンウォリスの使者がワシントン軍に対する降伏を伝えた。彼自身は病気を理由に調印式には出ていない。

コーンウォリスはイギリス軍の4分の1を率いていたに過ぎないので、コーンウォリスの降伏は即戦争の終結を意味していたわけではない。しかし、イギリスの世論は直ぐに平和の方へ傾いていった。戦いは続いたが大きな意味のあるものではなかった。1783年、休戦とイギリス軍の全面撤退が決まった。降伏とそれに続く戦争終結の責任はコーンウォリス個人のものであるが、敗戦に対する母国からの非難は、コーンウォリスの上官であり、安全なニューヨークにいたヘンリー・クリントン将軍に集まった。

その後
コーンウォリスは1798年にアイルランド総督になったが、その直後にアイルランド共和派の反乱が起こった。バリナムックの戦いの後のバリナリーにおける囚人戦争の遂行によって、彼の名は今日まで残る悪評を得た。

2009年02月14日

めい・king

羊飼いケイン(名前変更可能)はある日はぐれた子羊を追って迷い込んだ洞窟で、うっかり足元にあった壷をけり壊してしまう。その壷には100年前に悪い領主に封印されたというこのフランベルジュの土地を守っていた地の精霊が入っており、封印を解いたお礼にこの土地の領主にするという。その精霊の言う通りに行動した彼は、山賊にかどわかされた少女を助け出す事に。 その少女の名はシャルロット。フランベルジュの王女だった。彼女のきまぐれから5年の期限内に与えられた領地を一番発展させた者を彼女を花嫁とする争奪戦に加わる事になる。
レイアグト シアー リトル インジゴ マテハン トリプシン 万木かぶ ストロボ あんず ミング ローカル シャボン アーチ トミート スケー りゅう バーバー テンニン 対策いな パスタ 世界の橋 トレッ パレット レセル イスト トワイライ スター マカロ フォト はつとら ローン ザコン こくちょ ミシシ ミート ブーイ ディティ メルヘ ダウンタ バイフォー ゼット 発酵SEO フェムトセル 夕焼けの丘 サンテ ドリア ノーサイド タギング オミット オプシン

ケイン・アスベル ※PC版は改名可能
ごく普通の羊飼い。幼い頃両親を無くしている。たまたま迷った子羊を探している内に入り込んだ洞窟で足元にあった壷をけり壊した事で、フランベルジュの地の精霊の封印を解き、精霊の助言に従いシャルロットを助けた事で花婿候補として選ばれ、彼女との結婚権を巡る争奪戦に巻き込まれてしまう事に。奴隷制度に嫌悪感を覚える等純朴な少年。
シャルロット・キャンディ・フランベルジュ(声:比未子/こおろぎさとみ)
フランベルジュ王国の王女。浚われ監禁されていた所を主人公に助けられ、お礼として彼を花婿候補に加えた。父である国王に寵愛されて育ったせいなのか非常にワガママな性格だが、主人公を影ながらサポートする(バレバレな変装をして山賊と戦ったりもする)等、彼の事を気に入っている様で(最初は玩具感覚だったが)、館に押し掛けてくる事も。
ティア(声:紗梨子/川崎恵理子)
土地の発展が一定に達すると出現する奴隷市場で主人公に助けられた少女。北の辺境の地の出身の為か、かなり色白で主人公が遭難しそうな寒さでも全然平気。メイドとして主人公の館に雇われの身となるが、メイドとしての教育は受けてないので掃除位しか役にはたっていない。ちなみに奴隷市場は主人公の意向で閉鎖される事になる。
シフォーネ (声:山野メリ/百々麻子)
土地の発展が一定に達すると森のエルフ達から領主の“指導”をするという形で派遣されるエリート魔道士。エルフらしくプライドが高く、無口で人嫌いをしたりするが、実際にはハーフエルフであり、能力はあるのに関わらず、半ば追い出されて来たというのが真相だった。属性が雷らしく、興奮しすぎたりすると電撃を発して相手を感電させてしまう(過去のトラウマによる所があるらしい)。
椿(つばき)(声:森山葵/今井由香)
土地の発展が一定に達すると主人公の武勇の噂を聞き付け果し合いを申し込んでくる女武者。その実力の高さから守備隊の指導も行うが、自信過剰な所があり、そこが最大の弱点となっている。
ローズ(声:春野萌/三浦智子)
自称永遠の28歳。かなりの事情通であり、その美貌と肉体を持て暗躍する事が出来る程の実力者。それ故現国王も彼女には頭が上がらない。将来有望と見なした者の前には必ず現れる。
リリル(声:クリスチーネ/小林沙苗)
森のエルフの中にあっては希有な商才を持った存在のエルフの少女。土地が一定の発展をした時に主人公へのお願いを聞き入れて貰う代わりに差し出されたのだが、シフォーネがエルフにとっておまけ的存在ならば、こちらがより本命的な使者とも云える。伝説の商業都市ナニワに行くことが夢。お金にガメツイのが玉に瑕。
アン (声:秋月桃子/西原久美子)
土地が一定の発展をした際にドワーフ族から主人公にお願いを聞いてもらう代わりに差し出されるドワーフ族女の子。攻略対象の中では一番幼い印象を受けるが、妖精族だけあって既に50年は生きている(それでも精神年齢は外見同様かなり若い)。
サンドラ(声:みちっち/かかずゆみ)
付近一帯を荒らす山賊『獲女羅流怒(エメラルド)』の首領。だが実際には主人公とは別な花婿候補によって発展妨害の為に放たれた存在であり、最後は証拠隠滅の為と点数稼ぎの為にその花婿候補の討伐の対象にされてしまう。最終局面に至るまでの選択次第では彼女を攻略する事も可能。
エリス(声:うらら/)
フランベルジュの地の精霊。100年程前の悪い領主に捕まり壷に封印されていたが、主人公のお陰で封印が解けた事から、お礼も兼ねて影ながら彼の領地の発展をサポートしている。100年ほったらかしだった地の管理に忙しいらしく、雨乞いの儀式の時には余分な精霊力を使い過ぎてヘバり気味だった事も。基本的には主人公の前にしか姿を表さない。精霊なので実体は持たないが攻略対象にもしっかり含まれてたりする。

2009年01月28日

奉天会戦(ほうてんかいせん)

奉天会戦(ほうてんかいせん)は、1905年3月1日から3月10日にかけて行われた日露戦争最後の会戦である。奉天は現在の中華人民共和国遼寧省の瀋陽。双方あわせて60万に及ぶ将兵が18日間に渡って満州の荒野で激闘を繰り広げ、世界史上でも希に見る大規模な会戦となった。しかしこの戦いだけでは日露戦争全体の決着にはつながらず、それには5月の日本海海戦の結果を待つことになる。
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参加兵力は大日本帝国陸軍25万人、ロシア帝国軍37万人。指揮官は日本側大山巌、ロシア側アレクセイ・クロパトキン。

背景
ロシア帝国はシベリア鉄道の全線開通を4年後に控えていた。 クロパトキンを総司令官とするロシア軍は100万人に動員令を出していたが、直前に血の日曜日事件があったように、国内は混沌とした状況にあった。皇帝ニコライ2世への国民の忠誠心は揺らぎ、後退していた。

日本軍は緒戦から危うい勝利を拾い続け、ここまでなんとか全体での優勢を保っていたが、国力の限界を超えて軍に補給を続けなくてはならなかった。また、ロシア軍を追って満州の奥深くへ進撃を続けたため、兵站の維持や兵力の補充はさらに困難になり、旅順攻囲戦の激しい消耗を経て戦争の継続自体が危うい状況になっていた。

1905年3月、満州軍首脳は、奉天で増援を待つロシア軍に対して、日本軍有利の今の内に講和を結ぶため、賭けとも言える総力戦を挑んだ。大山巌は「本作戦は、今戦役の関ヶ原とならん」と訓示し、その決意を将兵たちに示した。

経緯
前哨戦(2月21?28日)
ロシア側は、当初日本側左翼(第二軍、特に秋山支隊が防衛する黒溝台付近)に対する攻勢を企図していたが、2月21日、それよりわずかに早く日本軍最右翼の鴨緑江軍(満州軍揮下)が陽動のために進軍を開始し、清河城にこもるロシア軍を攻撃した。しかし鴨緑江軍は、乃木第三軍より編入された四国善通寺第11師団と後備第1師団によって編成されており、このうち第11師団は現役兵師団ではあったが旅順攻囲戦によって現役兵を大量に失い、応召兵によって補充されていたため戦力的には問題があった。このため、日本軍得意の夜襲をかけても逆にロシア軍から夜襲を受けるなど、開戦時の日本軍に比べると攻撃に精彩を欠いていた。鴨緑江軍は何とか清河城支隊を撃退したが、クロパトキンが派遣した予備兵力に遮られ、膠着状態に陥った。

包囲作戦開始(3月1日?5日)
両軍は満州の馬賊を積極的に利用した主導権を握ったと判断した日本軍は、3月1日を期して奉天に対する包囲攻撃を開始した。作戦当初、日本軍は陽動として最左翼の乃木希典の第三軍・秋山支隊によってロシア軍右翼を攻撃させ、鴨緑江軍(ロシア軍左翼を攻撃中)と連動させることによってロシア軍の両翼を圧迫し、その両翼に援軍を出して手薄になるはずの正面に対して、大規模な攻勢を展開する意図を持っていた。ところが両翼で第三軍・鴨緑江軍が戦況を進展させている状況になり、奉天正面で激しい攻撃を行ったにもかかわらず、進展が見られないばかりかロシア軍に撃退されてしまう状況が続いていた。これは、カノン砲や28サンチ榴弾砲[1]による準備砲撃が、満州の厳寒によって地面が凍っていたため砲弾が弾かれ、威力が半減していたことや、当時使われていた黒色火薬の威力の不足により、ロシア軍陣地を十分に叩くことができなかったことが原因であった。このため、満州軍総司令部は作戦変更を行い、ロシア軍右翼の側面に回り込むために迂回を続ける第三軍に対し、さらに大きく奉天を迂回・包囲してロシア軍退路を遮断するとともに奉天を攻撃するよう命令した。

一方、ロシア軍の総司令官クロパトキン大将は旅順を陥落させた乃木の第三軍を過大評価しており、当初ロシア軍左翼を攻撃した鴨緑江軍を第三軍と勘違いして[2]、これに対して大量の予備軍を派遣した。ところが、本当の第三軍がロシア軍右翼を包囲するように動き出したと知って、ロシア軍左翼(鴨緑江軍正面)の応援に送ったこの予備軍をまたさらに右翼(乃木第三軍正面)へ転進させるという命令の変更を行った。このため、乃木軍はロシア軍の正面を受け持ちつつ奉天へ前進するという苦しい状況になり、連日のロシア軍の猛攻の前に崩壊寸前になっていた。

クロパトキンを総司令官とするロシア軍は旅順要塞を陥落させた第三軍の能力を過大評価しており、もし第三軍が奉天後方に回り込んで哈爾浜=奉天間の鉄道遮断に成功すれば、ロシア軍に対する物理的・精神的打撃は決定的であったと思われる。[3]。また、クロパトキンは乃木軍の兵力も過大に見積もっており、実際には3万8千人ほどの乃木軍を約10万人と考えていた。この誤断が生じたのは、増援を重ねた10万のロシア軍に対して、乃木軍が対等以上に戦ったからである。

ロシア軍の後退戦術と日本陸軍の決戦主義(3月6日?8日)
ロシア軍は奉天前面を攻撃する日本軍の第二軍、第四軍、第一軍に対して反撃して損害を与え続け、自軍も損耗しつつも、3月6日になって奉天前面から徐々に計画的に後退を始めた。これはロシア軍正面を中央より第三軍のほうへ移す処置であった。このため、ロシア軍側面を攻撃していたはずの第三軍及び秋山支隊は敵正面に対することになってしまい、苦戦を強いられた。他の前線でもロシア軍が随時反撃を加え、日本軍の被害は徐々に増大していった。

もしクロパトキンがこの時期に総反撃を命じたら、満足な予備軍さえ持っていなかった日本軍が崩壊するという危機的状況にあった。しかし日本軍の首脳部はあくまで全線での総力戦を指令し続け、ロシア軍の強固な防衛線を前に日本兵は文字通り死体の山を築いた。そうした状況が数日続くにおよび、遂には銃を捨てて逃走する日本兵の姿すら見られる状況に至り(大石橋の惨戦)、満州の日本軍は絶体絶命の状況にあった。

兒玉参謀長はついに作戦全体の方針転換を決め、腹心である松川大佐と図って、野津第4軍と奥第2軍に奉天への前進を指令した。

奉天会戦の結末(3月9日?10日)
ロシア軍の後退3月9日、ロシア軍の総帥クロパトキンは、突如、奉天が包囲されることを避けるため鉄嶺・哈爾浜方面への転進を指令した。これは日本軍が全く予期しなかった出来事であった。奉天のロシア兵はまだ余力のある状態で、総撤退を開始したのである。ここまでの戦いで大きな損害を受けていた日本軍は3月10日、無人になった奉天に雪崩れ込んだが、すでにロシア軍を追撃する余力は残っていなかった。とはいえ野津第四軍が追撃し、ロシア軍の2個師団に打撃を与えた。なお、この日は翌年に陸軍記念日と定められている。日本側の死傷者は7万であった。

ロシア軍の損害もまた大きく(ロシア側の死傷者9万)、回復には秋頃までかかる状況であった。しかし、ロシア軍が受けた最も大きな損害は士気だったと言われる。鉄嶺までの暫時退却であったはずだが、その過程で軍隊秩序は失せ、略奪、上官への背命など、軍隊としての体をなさないまでに崩れたという。そのためクロパトキンは鉄嶺も捨てて、北へさらに退いた。すぐに日本軍が鉄嶺を占領している。哈爾浜に逃れたクロパトキンは罷免された。

会戦後は日本軍の能力は格段に落ちており、鉄嶺まで占領して補給線が伸びきってしまった日本軍としては、この辺が攻勢の限界であった。これは物資だけでなく人的補充という意味でも同じで、最後まで惨戦を繰り返した第三軍は損耗率が4割から6割近くあったにもかかわらず[4]、その補充の予定すら立たない状況であった。特に第一線の将校、すなわち少尉から大尉程度の、前線指揮を執り兵の先頭を進む下級将校の欠乏は目を覆わんばかりで、開戦当初に配属されていた士官学校出身の現役将校はこれまでの会戦や旅順攻囲戦などによって大量に損耗していた。このため、大部分の将校が速成教育しか受けていない者や予備役から召集された者ばかりになり、前線での指揮も満足に取れない者が多く、またたった一日の行軍で体力を消耗してしまうような老齢の者も多く存在するような状態になっていた。これは奉天会戦開始前の鴨緑江軍所属の後備第1師団においてすでに顕著であり、同軍は奉天会戦後期にはほとんど活動できないまでになっていた。

奉天会戦の影響と日露講和への道
戦闘終了後に行われた日本軍一師団の点呼奉天を制圧したことにより、会戦の勝利は日本側に帰したとも言えなくもないが、ロシア軍にとって奉天失陥は「戦略的撤退」であった。100年前のナポレオン戦争でもロシア軍が採用した伝統的な戦法であり、欧米のマスコミも当初はこの撤退を「戦略的撤退である」と報じていた。さらにロシア軍と日本軍ではの補給能力に格段の差があった。しかし、クロパトキンが罷免されたことでロシア軍が自ら敗北を認めた形となり、国際的にもそのように認知されることとなった。代わりに総帥として就任したリネウィッチ将軍は、軍隊秩序を乱した者を処罰していくことによって、軍の建て直しに腐心した。ロシア軍は敗北を認めた上で、やがて日本軍に反撃することを意図していたと言える。

ロシア側は奉天会戦に敗北したとは言っても、ロシア陸軍(現役兵の兵力は約200万人で、大日本帝国の約10倍)はいまだ半分の動員しか行っておらずまだ健在であり、またインド洋にはバルチック艦隊が極東への航海の途上であり、陸海軍ともに継戦能力はまだ十分にあった。

奉天会戦勝利の報に日本中は沸き返り、さらに戦争を継続すべしという声が上がっていた。大本営は、奉天会戦の勝利を受けてウラジオストクへの進軍による沿海州の占領を計画し始めていた。また、4個師団(第13・第14・第15・第16師団)を新編し、講和圧力のために、樺太島へ上陸・占領した。 これを知った大山巌満州軍総司令官は兒玉満州軍参謀長と協議し、兒玉を急ぎ東京へ戻して戦争終結の方法を探るよう具申した。目先の勝利に浮かれあがっていた中央の陸軍首脳はあくまで戦域拡大を主張したが、日本陸海軍の継戦能力の低さをよく理解していた海軍大臣山本権兵衛が児玉の意見に賛成し、ようやく日露講和の準備が始められることとなった。

日露の講和を促そうと、アメリカ合衆国大統領のセオドア・ルーズベルトが駐露大使のマイヤーに訓令を発し、ニコライ2世に謁見させたが、バルチック艦隊の実情をよく知らなかったロシア宮廷には、「バルチック艦隊が思い上がった日本に鉄槌を下すであろう」という希望的観測から講和を渋る声があった。そのため、いったんは日露講和は頓挫する。 しかし、5月日本海海戦において日本海軍が完勝すると、アメリカ合衆国の調停によって両国は交渉の席に着き、9月、休戦が成立。10月、ポーツマス条約が批准され、日露戦争は終結した。

評価
一般的には、奉天を占拠し、ロシア軍を敗走させた日本陸軍が勝利した戦いとして認識されている。しかし、日本軍が十分な追撃を行えず、ロシア軍に決定的な損害を与えられていないため、「日本側優勢の引き分け」に近いという評もある。言い方を変えれば、日本軍がロシア軍の戦略的後退に誘い込まれなかったため、ロシア軍の戦術的敗北がそのまま結果として知られるようになった戦いとも言える。もし日本軍が追撃戦に移ったとしたら大敗北したことも考えられる。
近代日本陸軍が得た勝利の内で最も苦いもの[5]であった